ページ

2012年8月18日土曜日

国会議事堂前の脱原発デモに家族で行きました

昨日、国会議事堂前の脱原発デモに家族で行きました。
暑かったー。参加しているのは老人ばかりで、若者がいない。
未来の日本をクリエイトする若者がそんなファイトのないことでは駄目だ。
スピーチは素敵で、知らないことだらけでした。
牛にすでに白血病のような症状があらわれていること。(人間にもいずれ現れるだろう。)
廃炉の作業にあたる人が被爆し、自分自身の将来が不安なこと。
廃炉など簡単にに人は言うが、廃炉など出来やしないこと。
原発事故難民が15万人もいること。
関西電力の電力は十分すぎるほど足りていること。(あとで関西電力のホームページで確認した所、ピーク時で15%の余裕がありました。)
原子力発電など、発電ではなくただ利権のためだけにあるのだ。

経済界が裏を使って政府をコントロールしているに違いない。
日本の経済界、じいさんばかりの老害で次の金儲けの仕方をクリエイトできない。
次のビジネスを構築できなければ、この激しいグローバルなビジネスで勝利は得られない。日本のビジネスはじり貧になるだけだ。

デモは昔と違って平和そのもの。
デモが終ると警官が「暗いからどうか足元にお気を付け下さい。」とご丁寧なアナウンスをする。
昔のデモを知っている私など、笑いが出てしまいました。


ここでもう争うのはヤメにしよう

日韓関係。ここでもう争うのはヤメにしよう。
憎しみの連鎖を断ち切らなくては・・・。
確かに大統領の発言は行き過ぎだと思う。
でも,
日本政府も民間人の交流を阻害はしないでくれ。
政府同士で勝手にやってくれ。
韓流ブームというが、ブームを超えている。文化の定着だ。
お互いの民間人一人ひとりが微力ながらも努力して、知らず知らずのうちに、相互理解を地道に進めているのを邪魔しないでくれ。

大統領の演説のうち、後半については全く同感です。
「いじめの加害者は忘れているかもしれないが、被害者は決して忘れない。
被害者は許すかどうかは分からないが、忘れはしない。」
学校のいじめで10年以上苦しんできた娘の事を想うと、まさにこの言葉が当てはまる。私たちはこの言葉を信じ、一人ひとりが何をできるかを模索しよう。
私も、蚊のような成果しかできないが、何か自分にできるアクションを起こします。

竹島の問題を日本の戦争責任と絡めたのはよくないと思いますが、あの島と言えないような岩場でこんなにエキサイトすることはない。
朝鮮半島の統一がなされたとき、韓国という国家ではなく、朝鮮半島に住む人たちと話し合えばいい。話し合いは国際司法裁判所がお互い話し合いがスムーズならそうすればよい。それまで封印しよう。
統一がなされたた時、竹島の軍事的位置づけや領土的位置づけが変わるはずです。
私のアクションについては、後日またご報告いたします。


2012年8月11日土曜日

とても残念です

韓国大統領の竹島訪問はとても残念です。
私自身、戦後生まれてこのかた、朝鮮半島の人に偏見や軽蔑心を持ったことは正直ありません。
ビジネスでもちゃんと対応していますし、KARAの大ファンでもあります。
私の家族全員そうです。
娘が大学に合格した際は、ご褒美に韓国歴史の旅に行くつもりでした。
特に従軍慰安婦の問題では、以前このブログに掲載した通り、日本政府の冷たさや従軍慰安婦など存在しなかったなどという日本の論調に疑問を感じ、実際ニコンの写真展にも行きました。ものすごいショックでした。
自分自身として自発的な行動として、彼女らの話を聞くくらいしか財力はありませんが、できることはしようと思っています。
私たち家族の善意が裏切られた思いで、たいへん落ち込んでいて、怒りでいっぱいです。
私みたいに思う日本人はたくさんいます。
従軍慰安婦の心を本当に踏みにじっているのは、信じたくありませんが、韓国の人たちではないのでしょうか?
従軍慰安婦の仇を竹島で返しても、従軍慰安婦だった人は喜ばない。
誰か、私の疑問に答えていただければ幸いです。

2012年8月4日土曜日

民間の建売分譲住宅もここまで進化したのだなあ

左近山に建設分譲中の民間のエコ分譲住宅を見に行きました。
民間の建売分譲住宅もここまで進化したのだなあと感心しました。
営業マンもしっかりしていて、専門知識もバッチリでした。
価格も、あれだけの装備や緑地があるのにもかかわらず、良心的でお手頃な価格でした。
お近くの方は、一度行かれるといいでしょう。

2012年7月24日火曜日

ナローゲージ鉄道の旅









今日は、会社をさぼり、カミさんには出張と偽り、三重県のナローゲージ鉄道の旅を満喫しました。まず名古屋駅からJR関西線で桑名へ。西桑名駅から三岐鉄道の北勢線に乗り、阿下喜まで行く。阿下喜で、写真を撮影したあと、徒歩で同じく三岐鉄道三岐線の伊勢治田駅まで行く。暑かったー。伊勢治田駅の待合室で一緒になったおばちゃんから、阿下喜駅から無料の福祉バスがあったとの情報を得て愕然。伊勢治田駅から近鉄富田まで行き、そこから近鉄名古屋線で近鉄四日市まで行く。そこから近鉄八王子線で日永に行き、そこでユニークな列車交換を1時間半かけて満喫する。日永から内部まで乗車し、そこから近鉄四日市に戻り、駅ビルのレストランで朝食を取る。近鉄四日市から近鉄で名古屋に戻り、新幹線で横浜まで帰りました。

2012年7月7日土曜日

ブックフェアに行った後

今日、娘とお台場の東京ビッグサイトで開催されているブックフェアに行った後、新宿Lタワーのニコンのギャラリーで開催されている従軍慰安婦の写真展に行きました。小さなギャラリーで、こんな小さな展示会に国辱的だと国を上げて騒動を起こすなんて全く無意味と感じました。政治的メッセージなど何もなく、人間の魂と肉体のメッセージでした。
中国国内に残された従軍慰安婦たちの写真でしたが、とても貧しい生活の姿と顔や体に刻まれた皺が、彼女たちの壮絶な人生を物語り、心が痛みました。
それに、とても複雑な問題であるとも気が付きました。簡単には解決しないでしょう。
確かに日本人の最も恥ずべき証拠ですが、その事実に目をつぶるのではなく、彼女たちをしっかりと見つめ、人道的かつ自主的な支援をすぐ行動に移すべきです。
新宿から湘南新宿ラインで横浜まで帰りましたが、800円で購入した写真集を電車内で見ていると「うっ」と来てしまい、涙が出てきて、前に座っていたカップルが変な顔をしていました。こんな気持ちどこかで味わったことがあります。もう50年近く前の子供の時、そう9歳か10歳の頃、友達の吉田君ちで見た(写真週刊誌のライフか毎日グラフか忘れましたが)広島と長崎の被爆者たちの姿や死体です。
ジワッとインパクトのある写真展でした。

事実を見ない、観念に操られ隷属する考えしか持たない。
操られる人間になってしまってはいけない。

この問題には社会科学的な切り口が足りないのかもしれません。

次回の、ベトナム戦争時の韓国兵の枯葉剤(ダイオキシン)の写真展も面白そうなので行って見ます。

入場は無料です。

2012年7月5日木曜日

東京電力の未来があることも言っておきます

やっと東電が被災者に謝罪しました。東電は福島の廃炉まで40年間は、企業として日の目を見ることはないと思います。しかし、やっと再生東電が見えてきました。東電はもう原子力発電はできません。企業として再生するのなら、自然エネルギー事業へのシフトとNTTなどと組んだスマートグリッドの構築しかありません。発電電力量を削減して利益を得るビジネスに発想を転換するしかありません。しかしそれが東電の社員を救い、企業としての未来を従業員に示すことになります。ひいては、日本国民に夢と未来を提示することになります。
発送電の分離や電力の自由化による競争原理を導入する必要がありますが、それとは別に、東京電力の未来があることも言っておきます。

2012年6月28日木曜日

とても悲しい

今、テレビで、東京電力と関西電力の株主総会の様子の報道を見ました。
やくざが仕切る日本の株主総会。副知事や市長があんな場所で自分の意見を述べなくてはいけない日本の本当の姿を見て、とても悲しくなり、私自身、自信をなくしました。電力会社や原子力村が日本の子供たちの将来を決める最も強力な場なんて・・・。子供たちに大人は会わせる顔はありません。こんな、科学も民主主義のない日本、汚染された日本を我々はなぜ作ってしまったのだろう・・・。子供たちに渡せない。とても悲しい。
安全の為に投資もせず、安全、安全と念仏を唱えれば、放射性物質がなくなるとでも思っているのでしょう。狂気のさただ。

2012年6月19日火曜日

夢も希望もない社会

福島第一の爆発を3回見ました。特に3号機の爆発は大きく、ショックでした。その時こう思いました。 広島、長崎の核爆発と同じように、今まで私が生きてきた、日本の一つの時代が終わったと。
エコで、安全で、バリアーのない世界を想い描き、心の中では夢と希望に満ちて来ました。
それが、経済界、電力会社、政府、役所の4者に、今打ち砕かれようとしている。彼らは、夢と希望のない、ビクビク生きる世界を作ろうとしている。

2012年6月18日月曜日

腹が立って眠れません

こんばんわ。また原発の件で意見を言います。年甲斐もなく怒りをぶちまけますが、腹が立って眠れません。これほどの国家と民族の安全保障に対して重大な問題はありません。
国を憂いて、いつも右寄りの発言をする石原慎太郎や桜井良子さん。なぜあなた方はこの問題に言及しない。つまりは偽物の人たちだからだ。

今日の朝日新聞に原発を廃炉にすると、電力会社が債務超過になるんですって。
何か変だ。原発はいつか廃炉になるのに。つまり、廃炉を事業計画に入れていないからだ。廃炉になったら、電気料金の値上げや税金でまかなえばいいやという腹だ。もう、ビジネスでも何でない。それで、原子力発電は採算性がいいと言っている。
うそだ。
電力会社は、外資に売って下さい。

2012年6月11日月曜日

NHK教育のETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」を見ました

今、NHK教育のETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」を見ました。福島の都市や農村の放射能レベルを知って心が痛みました。あんなに高い数値なのだ。放射性物質は環境に入り、食物連鎖であのように濃縮されるのだとわかりました。大変気の毒で申し訳ない、とても悲しいことを言いますが、福島県の農林漁業は、風評被害も一部あると思いますが、壊滅するでしょう。食物は基本的かつ科学的に子供には食べさせられないし、郡山市や福島市には科学的に考えても子供を住まわすわけにはいかないと思いました。大人が、子供たちを守るために、放射能をあびましょう。

昨日大飯原発の再起動?(再稼働では?)を決めた野田首相・・・。
本当に安全なんですか?耐震のみで免震ではないコントロールルームで安全なんですか?
電力が不足していると、無計画停電をし、何十年に渡り国民を騙してウソをついてきた電力会社や政府を信じれますか?今度はどうやら本当に不足するらしい。ウソをついてきたオオカミ少年はもうだれも信じなくなっているので、野田さんを担ぎ出したわけだ。しかも、関西電力は電力が不足していると言わない。ズルイ。何の根拠もなく、ただ安全だと言っているにすぎない。今までと同じように、我々を騙しているだけだ。第一、理科系でもない、原子力の専門知識のない野田さんが、安全であると言い切れる能力と知識はあるわけがない。経済界、電力会社の脅し文句「原子力がないと日本経済が悪化し、安全保障がなくなり日本が駄目になる。化石燃料にシフトすると、貿易収支が悪化し、CO2排出が増える。彼らの脅し文句(映画の「トリック」に出てくるインチキ霊能者のように)、人を脅して金をとる商売文句を、政府の最高権力者が公然と言っただけだ。我々は原子力に魂を売って、一生ビクビクして生きなくてはいけないのか?そんなのはいやだ。私から見れば彼は醜態をさらしただけだ。国民や国家の最大の安全保障の問題について、原子力発電がないと国がやっていけないと国民を脅してどうなるのだ。経済界や電力会社、官僚、原子力村に言わされているだけだ。そこには、市場原理も科学的思考もなにもない。経済的利益だけだ。では、大飯原発が再稼働すれば、他の原発も稼働し、日本経済は絶対に安泰なのか?そんなことあるわけない、日本経済の不調は、我々に創造的アイデアがなくグローバル化・環境ビジネスに遅れたのが主な原因だ。日本人が選択する道は、原子力でも化石燃料でもないことが分かる。両方の道が塞がれているのだ。
しかも広域の避難計画すらない。
それに本当に関西地区の電力は不足しているのですか?地域独占で、関西地区に限っているから数字上不足するのではないですか?中部電力、中国電力、北陸電力と融通し合えば足りているのではないですか?地域独占が根本的問題なのだ。
火力発電所のCO2の排出量は日本の総排出量の数パーセントしかない。しかも、今の火力発電所には、コ・ジェネや大気汚染防止など、環境配慮がなく、数十年前のままの設備だ。それらを環境改修してやればいいのだ。しかも、広瀬隆は、関西電力はわざと火力発電所を2か所休止していると言っている。誰もその疑いに反論しないので、それは本当らしい。私はYESと取る。しかも電力不足分の割合が、時と場合において異なると指摘している。不足の算段などいい加減である証拠だ。そんな、うそばっかり言う電力会社や政府、役人たちを信じれと言うほうが酷だ。
そして野田氏は本日、「精神論だけでは・・・」と言ったそうだが、自分が無謀な科学的論拠のない精神論を言っている。
責任を取っても、今TVで見たように、人間が責任をとっても責任は取れない。セシウムの半減期は何万年だ。

百歩譲って、妥協しようか?まず、経済界や電力会社から金を貰っていない信頼できる科学者に、データと科学的根拠に基づき安全であるという立証をしてもらう。
それはストレステストだけだはない。地盤面の標高や、高圧線の鉄塔の耐震性を含む。それだけではない福島第一の事故の原因となった全てについて立証してもらう。それで落とし所として、関係者に責任を取ってもらう。(甘いか?)
野田さんがスピーチするのは、昨日のあんな中身のない偉そうなスピーチではなく、国民に対するお願いだ。
一番重要なのは、政府に中長期における日本のエネルギーの確保と安全保障の案とスケジュールを提案してもらい、原発に代わるエネルギーの確保と安全保障を提示してもらいたい。それはグリーンエネルギーだともう答えは出来ている。
大人の発想で妥協するとすればこんなことになるかな?福島第一の原因も究明せず、原因に対する是正処置がない段階で、安全とは言えない。原因が除去されていないのであれば再発するのみだ。
大きな是正処置を提示しないから、詳細に入ると、その場しのぎの応急手当ばっかりなるのだ。
いや、日本という国は、長期に渡る大きく本質的なものは提案ができなくなってしまっている。

おそらく休止していた大飯原発を再稼働する時、膨大な設備の立ち上げ段階で、トラブルを起し、稼働できず、関西地区が、電力不足でとんでもないことになるのがオチだ。機械物なんてそんなものだ。

日本には天然資源がなく、人口も多い。その小さな島々に膨大な産業と住宅、オフィス、商業が立地している。エネルギーを外部に頼っていたら駄目だ。ウランだって石油より早く枯渇する天然資源らしい。それにウランが取れるコンゴでは、内外の利権が絡む東や西からの熾烈な戦闘や差別が日常的にある。

知恵を出していこう。

2012年5月28日月曜日

それからどうした!!


519日(土)イヨッ!! 待ってました!!



86才になる父親の小唄の会を三越劇場に見に行きました。

母親、妹、甥そしてその新しい彼女が来ました。

出番が終わった後、甥の彼女を紹介されました。

夕食を近くのレストランで父親、母親、そして私の3人で食べました。



それからどうした!!



521日(月)初めて金環日食を、肉眼で見ました。

曇っていたのですが、ちょうど金環日食のピーク頃、雲が切れましたので

はっきり見えました。

感激しました。



それからどうした!!



525日(金)、526日(土)会社の研修旅行で、仙台と松島に行きました。

松島で

こんな穏やかで平和で

すべてを許してくれる海を見ていると

あの、ドス黒い 腹の底から

悪意に満ちた

すべてを死に追いやる

海は想像だに出来ない



松島で、瑞厳寺の改修工事の現場を見学しました

感動ものです!!

写真を添付しました



いつか自分の意志で

被災地に行きましょう



まだ心の中で

ボランティアをする勇気と決意ができない



人を助けよう

人を思いやろうという

生まれて初めての気持ちと



自分だけよければいい

楽をしたいという



2つの気持ちが心の中で

まだ葛藤しています







2012年5月13日日曜日

今日はいい天気なので、予約してあった、横浜の十日市場に完成した、横浜市脱温暖化モデル住宅推進事業の「MINA GARDEN」を見学に行きました。
緑豊かで、いい住宅でした。スマートグリッドは構築していないのですが、各戸独立して省エネが完結してあります。電気自動車とのリンクはありませんが、駐車場に電源は用意してありました。全体は一団地のようですが、各戸独立して接道してあり、一つずつ確認申請を出しています。そして、それプラス共用のお庭があります。
ユニバーサルデザインではありますが、在宅勤務スペースは特に設定してありません。しかし、生涯暮らせる住宅です。省エネやコストなどの数値を突き詰め、エコな形に仕上がっていると思いました。好感のもてるデザインです。
太陽電池だけでなく、省エネにきわめて効果的である、太陽熱温水設備を備え、それを「エコ上手」で補っています。
価格も、十日市場の駅のそばで、3200万円程度ですので、もっと高くても完売したはずです。
実証実験の設備を備えていますので、その結果がきわめて注目されます。
脱CO2だけでなく、脱原子力エネルギーの住宅として売れば、飛ぶように売れるでしょう。




2012年5月5日土曜日

埼玉県の川越と千葉県の野田に行きました

こんばんは。歩き疲れた眼で、ブログを書いています。
今日は、娘と一緒に埼玉県の川越と千葉県の野田に行きました。
朝早く自宅を出発し、副都心線と東武鉄道で川越へ。
小江戸の町並みは、思ったより連続性があり、迫力がありました。
一つ一つの建物もなかなか見応えがあり、古い町並みをじっくり満喫しました。
本丸御殿、菓子屋横丁、喜多院を巡り、祭りの山車を見たあと、大正ロマン通りの縁日を見て、ロマン通りの昔ながらの喫茶店でコーヒーを満喫。コーヒー一杯が600円は高かった。
川越の駅から、大宮、東武野田線を経て、野田市のキノエネ醤油の古い工場などを写真に収め、ファミレスで昼食したのが午後3時。娘は全くおもしろくなく、しかもハラペコとあってブーブー文句を言い、挑戦的になる。
食事のあと、野田線からTXに乗る。TXは初めて乗りますが、速いのなんの。流山おおたかの里から24分で秋葉原に着きました。秋葉原から総武線で飯田橋で降り、道で転び熱を出して入院している86歳の父親を逓信病院に見舞いに行く。1時間程しゃべったなかなー。
父親の件は、また別途お話します。
見舞いの帰り、飯田橋にバーガーキングがあったので、そこでテイクアウトの食糧を買い帰宅して夕飯にしました。
今日は18000歩、歩きました。
クタクタです。

2012年5月1日火曜日

房総半島の鉄道を乗りに行きました

こんばんは。今日は、会社を休み、房総半島の鉄道を乗りに行きました。
朝早く、横浜駅のバスターミナルからバスに乗り、まず五井まで行く。初めてアクアラインを通りました。五井から小湊鉄道のディーゼル列車で上総牛久まで。上総牛久で後続の列車に乗り継いで、上総中野まで。鉄が多く、女鉄も数人いました。背広とネクタイのサラリーマンもいて、彼らは家族に会社に行くと言って、こんなところでサボッているわけだ。上総中野でいすみ鉄道に乗り換え、1両編成の最新ディーゼル列車の旅。大多喜で降り、雨が降り始める。今日は天気が不安定でした。大多喜で城下町の建物を見学。村のような、町家のような、農村のような都市のような、不思議な魅力がある城下町でした。かなりの時間を観光センターで待ち、大多喜から旧国鉄のディーゼル列車で、懐かしい昭和の旅を満喫して、大原で降りる。あとは、各駅停車と快速を乗り継いで横浜まで帰りました。いい日帰りの旅でした。




2012年4月30日月曜日

久ぶりに秋葉原に行きました

今日、また娘と一緒に秋葉原に行きました。
何かソニーのウォークマンを買うというのです。
秋葉原。なんと変貌していることだ!!
再開発のビルで、ラジオデパートはなくなっているし、電気屋が、オノデンと石丸電気しかない!!
店は、フィギィア、オモチャ、DVD、ネットカフェ、中国語、メイドの服を着た女の子でいっぱい!!
若い男だらけで、まさに無法地帯。さすが男でも命の危険を感じました。
ナイフで刺されると思いました。
もう電気屋街ではない。それにウォークマンも安くない。ネットの方が安い。
秋葉原はこの先どうなるのでしょう・・・。
滅ぶ前の日本なのか・・・・。

そのあと横浜駅の有隣堂で、小出裕章さんの「騙されたあなたにも責任がある」を買い、帰りの電車で読みました。
なるほど、日本は原発の事故で、北朝鮮より早く、国家というものが消滅したんだなあと思いました。われわれ大人は先んじて放射能を受け入れなくてはいけないと思います。子供たちには、できるだけその大切なDNAのタンパク質の配列を壊さないよう、海外に出さなくてはいけないと思いました。私と妻の持つ大切なDNAのタンパク質の配列を壊さないよう、生物として、放射能のない世界に出さなくてはいけない。
大切な私たちの遺伝子を、神様、どうか未来永劫存在させて下さい。
大げさではない。本当にそう思います。

2012年4月28日土曜日

厚木基地の一般公開に行ってきました

久しぶりです。今日は娘と一緒に、厚木基地の一般公開に行ってきました。
よく晴れていたのですが、暑かったです。
基地の入口にマッカーサー記念公園というものがありまして、プレートに「マッカーサー元帥が日本に民主主義をもたらした。」と書いてありました。まあ、そうかなという感想です。
F15、ファントム、イントルーダー、P3C、AWACKS早期警戒機、2式大艇、ヘリコプター各種、などなど、子供の時プラモデルで作った戦闘機などがたくさん展示してあり、実際にタッチして、感激しました。広い基地です。
戦闘機のパネルがビス止めなのには驚きました。
パイロット服の体験試着コーナーがありまして、日本の太ったおばちゃんが、子供そっちのけで、必死でパイロット服を着ている姿を見て大笑いしました。あばちゃん、着たい気持はわかるけど、こんなに暑くてどうするのと聞きたいくらいでした。
昨年の大震災の時の「ともだち作戦」のレポートや写真も展示してありました。
航空ファンにはたまらないフェスティバルです。
よく歩きましたが、途中バドワイザーを飲み、手作りのハンバーガー(肉の量が半端じゃない)を食べ、最後にアメリカ軍に基地でしか販売していないアンソニーピザの大判を1900円で買い、相模野の駅まで歩いて帰りました。
疲れたー。



2012年3月25日日曜日

大阪に出張しました

大阪に出張しました。
関西の寺社仏閣で唯一行ったことのない、信貴山に行きました。
そして、心斎橋の寂びれていること。何十年ぶりかなー。
地方都市のシャッターの閉まった商店街のようでした。
子供の時、心斎橋といえば、人をかき分け歩いた記憶があるのですが、人影も疎らでした。
店の構えも、東京では考えられないような、個性的で創意にあふれたデザインをしているのですが、こう閉まった店ばかりですと、歩くのも何だか寂しい感じがします。
梅田の繁盛ぶりとは好対照でした。
帰り、乗っている高速バスが千里ニュータウンを通ったとき、雨が降り始めました。
空は比較的明るいのですが、何だかどこかで経験した景色です。
小学校2年生の時、千里ニュータウンに転校して、学校の1階ホールで、不安と緊張で、新しいクラスに紹介されるのを待つ自分自身を懐かしく想い浮かべました。
ピンク色の粘土の世界。千里の土が頭をよぎりました。

2012年3月20日火曜日

皆さん

読者の皆さん

中学生から56歳になるまで創った詩は全てアップロードしました。
ハンディキャップを背負い、いばらの道を歩いてきたけれど、私の詩や意見を読んでいただき、ありがとうございます。私は、月給30万円に満たない、役職なし万年ヒラの3流サラリーマンですが、法を守りプライドを持って生きてきました。
権力や金のある人に、隷属して屈服して生きていたり、取り入って絶対服従して生きてきたつもりはありません。
これからも、アップロードのペースは落ちるでしょうが、創った詩や社会に対する意見を掲載していきますので、今後ともよろしくお願いいたします。

2012年3月16日金曜日

窓から見た平凡社の黒い本社ビルです

石物



その無尽蔵な石物はたっている

黒々とたっている

人気はなく

明りもない

霧が石物の足元を襲い

黒々とした巨大な石物は浮かび上がる

そして石物はしっとりと闇に包まれ

道はこうこうと水銀灯が照らす



無尽蔵な石物はたっている

まるで墓石のように

光はなく黒々としている

僕の背後と同じような世界

暗黒で音のない世界



ひっそりと石物はたっている

2012年3月15日木曜日

トンネルから出る地下鉄

地下鉄



銀色の膚を持った列車は

四角い

黒い洞窟から

身震いして

ホームに進入してくる

凝縮したその体は

かん高い声を響かせる

重い肉体を震わせ

哀れな悲鳴を上げ

通り過ぎる

地下はひんやりする

赤と黄のランプが

黒い壁を写し出し

遠ざかってゆく

暗黒に消えてゆく

2012年3月14日水曜日

暑い夏のドブ川はうっとうしい

死んだ川



暑い

暑い

夏だ

夏だ

道を歩いているだけで

汗がタラタラ出てくる



高速道路の下で

川は汚物に埋まり

緑になる

彼は哀れな悲鳴を上げる

ボワーッ

ボワーッ

と、吐く

吐いて

吐いて

吐きまくる

汗がタラタラ出てくる



暑い夏だ







皮膚は黒くただれ

太陽のない

死んだカサカサな心

そして死んだ川

とにかく暑い夏だ

2012年3月13日火曜日

東京の地下鉄

東京地下鉄



ここは開拓地なのである

人間が新しく造り出した空間なのである

出かせぎのおっつぁんが掘り出した所なのである

すでにエスカレーターは動き

人々は流れているが

すでに床は泥で満ち

テカテカに光ったステンレスと

塗料のはみだした壁には

赤く醜い錆が吹き出しているが



沈黙の中に吸い込まれてゆく気がする

ここは開拓地なのだ



暗黒に信号が点滅し

何かを暗示している

黄色く強烈な光が暗闇の中心から突進してくる

その光は迫ってはきたが





列車はこない

床にこびりついた真新しい泥は

波打って

心臓を鳴らす



光はぐんぐん迫り

悲壮な泣き声がしたとたん

この世は

繰り返される冷光で満ち

列車がしだいに呼吸をゆるめ

目前に停止している姿を見た



ガラスケースの中はもの静かだった

この開拓地には英雄はいない

ビリー=ザ=キッドも

ジョン=ウェインも

もの静かなガラスケースでいっぱいだ



ガラスケース





そんなデリケートで

あてにならないものに乗るのだ

『千葉行き』に乗ろう



列車は地面と共にうなり声を上げ

ガラスでできたその体をふるわせる

あっという間に

開拓地の光景は消えうせ

全ては都市の悲鳴を上げる

もぐるもぐる
光のないガラスケースの中へ

2012年3月12日月曜日

御茶ノ水の街並みを外堀から見て思いました


この街を出て行こう




この街並みを見ていると

何だか悲しくなる

そして、アメを舐めてその皮が溶けるように

思い出が滲み出てくる

そう、思い出がいっぱい詰まったこの街を出ていこう

昔懐かしい山小屋風の喫茶店を最後に

この街を出て行こう

もう昔のことは和紙で見る風景のようだ



綺麗で清潔なショッピングセンターのブランドコーナーなど吹っ飛ばせ

ブランド物など捨ててしまおう



そして、君はもう添え木はいらない

子供の頃 

窓先で咲いていたアサガオのように

自分の足で立つことができる



この街を出て行こう

2012年3月11日日曜日

旅から東京へ帰る車窓

進入



街は眠り込んでいた

あの麻薬の狂乱もおさまり

静かに眠り込んでいた

混乱は氷のように固まっていたが

それも

もう

溶け始めている



車窓からは

街は

そう見えた



黒っぽい

すすけた家の中には

あと二時間もすると

街の中心へと向かう人々が

眠っているのだろう



窓の水滴の向こうにある

僕の灰色のビル





窓の水滴を払って

のぞいてみた

僕の灰色のビル



早朝のネオンは

この街の目覚まし時計さ

この街に光る

水銀灯の列は

その文字板さ

そんな中を

急がしく反復するぜんまいのように

音もなく

一台の車が走ってゆく



駅に着いて

自動販売機に硬化を入れた時

僕は再び

この街の住人になった

2012年3月10日土曜日

鉄道好きの私ながらの着目点

台車



膨張した皮膚を持ったアスファルトは

気孔を満開にして

熱気を大気中に放つ

そして、その林を付き進んでいく者がいる

台車だ!

その無音の空間で

熱気と調和を保つのだ

台車は神妙に動いて!
台車は神妙に動いて!

2012年3月9日金曜日

夕暮れの東京

夕暮れ


しだいに冷えてくるコンクリートの上に腰を降ろし

両手を組んで

それをひざの上に置いて

ビル街に沈む夕日をながめている

コンクリートの上には少しばかりの花壇がある



冷えてくるコンクリートで足の裏がしびれ

そして、どことなく異様な大気が吹きつける

煙突に日は沈み

全天一面に光の筋が走り

コンクリートは氷になってゆく

右の奥にある

ガラス張りの近代建築は

バリバリと音をたてて

粉々になる

粉々になる





空にはやっと月と金星が浮かび上がった



体温で少しはぬくもった

氷のようなコンクリートに

大いなる別れを告げて

黒い人だかりのする

ターミナルステイションへと足を向けた

2012年3月8日木曜日

東京駅、大垣行きをホームで待つ





この大きな駅の大きなホームには

チラチラと

どぎつく塗られた

ガラガラの

通勤電車が

音もなく進入するだけだった

始めてそれを見た

目立たない

見なれた

電気機関車が

自分の存在を大声で叫びながら通り過ぎた

目の前にあった

長距離列車が

控え目に出発した

視界が開け

長い旅立ちを前に

僕は自信と不安を

コーラのびんに押し込める






ホームには赤いワンピースの女が一人

僕は九番ホームから、それをながめているだけ

彼女と僕は同時に同じコーラを飲み

同時に飲み終わった

僕は心の中で嘲笑った

「彼女は海岸地区の売春婦だ」と

突然

彼女は僕に向かって叫んだ

「一郎!一郎!」と

ホームには誰もいない

行き交う列車に全てはかき消された

「一郎!一郎!」

僕の名前なんかじゃないよ

なぜそんなことを言うの?

ホームには僕もいないからって

2012年3月7日水曜日

名古屋の河村市長は間違っている


名古屋の河村市長は間違っている。

虐殺したのは1人であって、その罪は30万人を虐殺ものより小さいか?

そうではない。1人の命は、地球上全ての命と同じに重い。

例えば、あなたの一人娘命が、地球の反対側のブラジルの凶悪犯100人の命にとって奪われるとき、あなたは、絶対に一人娘の命を助けて、凶悪犯100人の命を奪うであろう。

一人の命は100人の命より重い証拠だ。

人間の尊厳について、虐殺した人数は関係ない。



功利主義の考えはある。

100人の命は、1人の命より重い。

これは、例えば、車を運転していてブレーキが利かなくなりました。右にハンドルを切ると10人轢いてしまう。左にハンドルを切ると1人轢いてしまう。

あなたならどうする?

ほとんどの人は左にハンドルを切るでしょう。

功利的な考えだ。

しかし、このような選択を求められることは、人の一生に一回あるかないかだ。

基本的に、人は功利主義で生きてはいけない。

一人の命と100人の命は同じ重さの尊厳があり、いくら虐殺した数が少ないと主張しても、それは人間の尊厳を考えるとき、全く説得力がない。



ある日系アメリカ人と、広島・長崎の原爆について話したことがある。

彼はこう言った。

「広島と長崎の原爆は、戦争を終わらす為に必要だった。」

日本人の血を受け継ぐ者がそう言った。

彼が受けた教育がそうだったのだろう。

私は、心が、怒りと悲しみでいっぱいになった。

私は、広島と長崎の原爆被害の写真を見たこともあるし、原爆資料館に行ったこともある。

ナチスのジェノサイドと同じではないか。

赤ん坊、子供、老人、女性を虐殺して何になるのだ。

そうでもしなくては、勝てなかったのか?

そうではない。

広島と長崎の被害者の数と日本人全員の数を、功利主義的に判断しただけなのだ。

この感情を、中国の方も感じていると思う。



自分が受けた怒りや悲しみを、他の人に与えてはいけない。



しばしば、中国のセールスマンと面談しますが、例えですが、彼らは、納期を聞くと、「3日間」、在庫はと聞くと、「1万個」などと答えます。要は「すぐにご用意できます」「在庫はたくさんあります」という意味だ。たくさんという意味を数字に置き換えて表現するらしい。

これを理解するだけで、かなりの部分の誤解は減るのではないか?