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2013年2月18日月曜日

真壁に行きました

日曜日、茨城県の筑波山の北側にある、真壁のひな祭りに行って来ました。

そこで、古い町並みと最近できた真壁伝承館を訪問しました。

さすが、日本建築学会と日本建築家協会の大賞を貰った建物で、ローコストながら、地域の歴史的コンクエストと適正な規模と内容に感心しました。ソフトもバッチリで、賑っており、愛される建築だと思いました。
当日は、真壁伝承館で、白井座の人形浄瑠璃を見ました。

真壁の町も人が出ており、醸造酒やお雛様を堪能しました。古い民家の瓦屋根などが地震でかなり壊れており、心が痛みました。

お菓子所の「さとう」まで延々歩いて、念願の真壁どら焼きをお土産として大量購入。
帰りは、親切にも「さとう」の娘さんに車で真壁まで送ってもらいました。感謝感謝。

宿泊は「伊勢屋」という旅籠で一泊。ジャクジーでゆったりと風呂につかり、熟睡しました。



2013年2月9日土曜日

自らを食らう竜の絵

教育、福祉、医療など、人間の尊厳に関わる分野で市場主義がはびこり、人間の尊厳が失われている。
一方、電力会社など、本来市場原理で発展できる分野で、独占がはびこり、市場
原理が機能せず合理的かつ科学的産業にならない。
日本のミスマッチ。
そんな市場原理は最終的には自らを食らい、この世から消え去る。
それを描いてみた。


2013年2月1日金曜日

久しぶりです

大変ご無沙汰しています。仕事も忙しく、久々の投稿です。

アウンサンスーチーさんが、過ちを認めない過ちをするのが、本当の過ちと言っています。この文章はそのずっと前に書きましたが、改めて、勇気をもって投稿しました。


1520年前従軍慰安婦の存在を知りました。その時は、中学生対象の本を読み、こんなことがあったのかと知るに留めたのみでした。

しかし昨年、ニコンの従軍慰安婦の写真展が、右翼の暴力的妨害の為、開催が出来なくなり、裁判所の開催命令が出て開催されることを知りました。日本の言論の自由の危機を感じ、行ってみました。

深い皺、目線、ずるく狡猾さを秘めた顔の写真を見て、彼女らの人生、そういう表情にならざるを得なかった過去に従軍慰安婦の真実を見ました。

日本に中には従軍慰安婦に対し、証拠がないので軍の強制的な関与はなかったと言う人がいます。しかし、そう言うのであれば、関与がなかったという証拠も必要なのです。しかし、その関与しなかった証拠もない。論理的には、不明であるというのが真実です。事実はどうであれ、人の心を傷つける発言をなぜするのでしょう。

しかし、ナヌムの家にはその軍の強制関与の証拠があり、ハルモニさんたちの証言もある。

日本の外務省の真面目な調査では、いろいろなケースがあり、千差万別なのが実態らしい。日本軍は、日本の東北地方の若い女性の人身売買が底をついた時、軍は自分たちの手を汚すことなく、朝鮮半島に業者を介し従軍慰安婦を集めたというのが事実ではないのですか。

強制云々を論じる前に、植民地支配が強制であったのだから、大きな意味で従軍慰安婦は強制だと思います。そんなことを言うと、私のことを、非国民と言う日本人もたくさんいます。

愚かです。謝罪こそ日本人の誇りとプライドを高めるのであって、本質から逸脱した、強制の証拠がないだの、河野談話を取り消せだの、何の意味もないです。

事実(fact)も把握しないで、真実(truth)がわかるはずなどありません。

例え、従軍慰安婦が強制ではないという事実(factが判明しても、真実(truthは強制であったと思います。

国際的にもそう評価されているのではないのでしょうか。

それは、ナヌムの家のホームページに掲載されているハルモニさんたちが描かれた絵、戦争中の写真をみれば、何があったのかは明らかです。日本はひどいことをしました。ナチスのようです。

私はその後、良心的と思う本を2~3冊読み多少は知識を得ました。日本は謝罪の時期を逃しています。けじめをつけていないのです。私を含め、多くの日本人はひどいことをしたという自覚はあるのですが、心からの謝罪をする真の勇気がありません。つまらない事実確認に逃げています。

安倍総理の言う、日本の戦後レジームからの脱却、未来志向は、この謝罪抜きにはありえません。

又、間違っているかも知れませんが、報道やインターネットの書き込みを見ると、朝鮮半島の人にも、心からの謝罪を受け入れる勇気がないのかもしれません。
本当に謝罪を受け入れる気持ちがあるのでしょうか?
我々に屈辱を味あわせるだけなのではありませんか?
どうか反論して下さい。
 
今の私には、心からの謝罪をする真実の勇気がありません。謝罪してハルモニさんや朝鮮半島の人たちに踏みにじられ、罵声を浴び、屈辱的な土下座をさせられて、人間としての誇りや尊厳を失い、不利益を被ることがとても怖くイヤなのです。

もし私に真実の勇気が芽生え、神がそれを私に与えた時に、私は謝罪をするでしょう。

旅費も貯金できたら是非そうしたいです。