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2012年3月25日日曜日

大阪に出張しました

大阪に出張しました。
関西の寺社仏閣で唯一行ったことのない、信貴山に行きました。
そして、心斎橋の寂びれていること。何十年ぶりかなー。
地方都市のシャッターの閉まった商店街のようでした。
子供の時、心斎橋といえば、人をかき分け歩いた記憶があるのですが、人影も疎らでした。
店の構えも、東京では考えられないような、個性的で創意にあふれたデザインをしているのですが、こう閉まった店ばかりですと、歩くのも何だか寂しい感じがします。
梅田の繁盛ぶりとは好対照でした。
帰り、乗っている高速バスが千里ニュータウンを通ったとき、雨が降り始めました。
空は比較的明るいのですが、何だかどこかで経験した景色です。
小学校2年生の時、千里ニュータウンに転校して、学校の1階ホールで、不安と緊張で、新しいクラスに紹介されるのを待つ自分自身を懐かしく想い浮かべました。
ピンク色の粘土の世界。千里の土が頭をよぎりました。

2012年3月20日火曜日

皆さん

読者の皆さん

中学生から56歳になるまで創った詩は全てアップロードしました。
ハンディキャップを背負い、いばらの道を歩いてきたけれど、私の詩や意見を読んでいただき、ありがとうございます。私は、月給30万円に満たない、役職なし万年ヒラの3流サラリーマンですが、法を守りプライドを持って生きてきました。
権力や金のある人に、隷属して屈服して生きていたり、取り入って絶対服従して生きてきたつもりはありません。
これからも、アップロードのペースは落ちるでしょうが、創った詩や社会に対する意見を掲載していきますので、今後ともよろしくお願いいたします。

2012年3月16日金曜日

窓から見た平凡社の黒い本社ビルです

石物



その無尽蔵な石物はたっている

黒々とたっている

人気はなく

明りもない

霧が石物の足元を襲い

黒々とした巨大な石物は浮かび上がる

そして石物はしっとりと闇に包まれ

道はこうこうと水銀灯が照らす



無尽蔵な石物はたっている

まるで墓石のように

光はなく黒々としている

僕の背後と同じような世界

暗黒で音のない世界



ひっそりと石物はたっている

2012年3月15日木曜日

トンネルから出る地下鉄

地下鉄



銀色の膚を持った列車は

四角い

黒い洞窟から

身震いして

ホームに進入してくる

凝縮したその体は

かん高い声を響かせる

重い肉体を震わせ

哀れな悲鳴を上げ

通り過ぎる

地下はひんやりする

赤と黄のランプが

黒い壁を写し出し

遠ざかってゆく

暗黒に消えてゆく

2012年3月14日水曜日

暑い夏のドブ川はうっとうしい

死んだ川



暑い

暑い

夏だ

夏だ

道を歩いているだけで

汗がタラタラ出てくる



高速道路の下で

川は汚物に埋まり

緑になる

彼は哀れな悲鳴を上げる

ボワーッ

ボワーッ

と、吐く

吐いて

吐いて

吐きまくる

汗がタラタラ出てくる



暑い夏だ







皮膚は黒くただれ

太陽のない

死んだカサカサな心

そして死んだ川

とにかく暑い夏だ

2012年3月13日火曜日

東京の地下鉄

東京地下鉄



ここは開拓地なのである

人間が新しく造り出した空間なのである

出かせぎのおっつぁんが掘り出した所なのである

すでにエスカレーターは動き

人々は流れているが

すでに床は泥で満ち

テカテカに光ったステンレスと

塗料のはみだした壁には

赤く醜い錆が吹き出しているが



沈黙の中に吸い込まれてゆく気がする

ここは開拓地なのだ



暗黒に信号が点滅し

何かを暗示している

黄色く強烈な光が暗闇の中心から突進してくる

その光は迫ってはきたが





列車はこない

床にこびりついた真新しい泥は

波打って

心臓を鳴らす



光はぐんぐん迫り

悲壮な泣き声がしたとたん

この世は

繰り返される冷光で満ち

列車がしだいに呼吸をゆるめ

目前に停止している姿を見た



ガラスケースの中はもの静かだった

この開拓地には英雄はいない

ビリー=ザ=キッドも

ジョン=ウェインも

もの静かなガラスケースでいっぱいだ



ガラスケース





そんなデリケートで

あてにならないものに乗るのだ

『千葉行き』に乗ろう



列車は地面と共にうなり声を上げ

ガラスでできたその体をふるわせる

あっという間に

開拓地の光景は消えうせ

全ては都市の悲鳴を上げる

もぐるもぐる
光のないガラスケースの中へ

2012年3月12日月曜日

御茶ノ水の街並みを外堀から見て思いました


この街を出て行こう




この街並みを見ていると

何だか悲しくなる

そして、アメを舐めてその皮が溶けるように

思い出が滲み出てくる

そう、思い出がいっぱい詰まったこの街を出ていこう

昔懐かしい山小屋風の喫茶店を最後に

この街を出て行こう

もう昔のことは和紙で見る風景のようだ



綺麗で清潔なショッピングセンターのブランドコーナーなど吹っ飛ばせ

ブランド物など捨ててしまおう



そして、君はもう添え木はいらない

子供の頃 

窓先で咲いていたアサガオのように

自分の足で立つことができる



この街を出て行こう

2012年3月11日日曜日

旅から東京へ帰る車窓

進入



街は眠り込んでいた

あの麻薬の狂乱もおさまり

静かに眠り込んでいた

混乱は氷のように固まっていたが

それも

もう

溶け始めている



車窓からは

街は

そう見えた



黒っぽい

すすけた家の中には

あと二時間もすると

街の中心へと向かう人々が

眠っているのだろう



窓の水滴の向こうにある

僕の灰色のビル





窓の水滴を払って

のぞいてみた

僕の灰色のビル



早朝のネオンは

この街の目覚まし時計さ

この街に光る

水銀灯の列は

その文字板さ

そんな中を

急がしく反復するぜんまいのように

音もなく

一台の車が走ってゆく



駅に着いて

自動販売機に硬化を入れた時

僕は再び

この街の住人になった

2012年3月10日土曜日

鉄道好きの私ながらの着目点

台車



膨張した皮膚を持ったアスファルトは

気孔を満開にして

熱気を大気中に放つ

そして、その林を付き進んでいく者がいる

台車だ!

その無音の空間で

熱気と調和を保つのだ

台車は神妙に動いて!
台車は神妙に動いて!

2012年3月9日金曜日

夕暮れの東京

夕暮れ


しだいに冷えてくるコンクリートの上に腰を降ろし

両手を組んで

それをひざの上に置いて

ビル街に沈む夕日をながめている

コンクリートの上には少しばかりの花壇がある



冷えてくるコンクリートで足の裏がしびれ

そして、どことなく異様な大気が吹きつける

煙突に日は沈み

全天一面に光の筋が走り

コンクリートは氷になってゆく

右の奥にある

ガラス張りの近代建築は

バリバリと音をたてて

粉々になる

粉々になる





空にはやっと月と金星が浮かび上がった



体温で少しはぬくもった

氷のようなコンクリートに

大いなる別れを告げて

黒い人だかりのする

ターミナルステイションへと足を向けた

2012年3月8日木曜日

東京駅、大垣行きをホームで待つ





この大きな駅の大きなホームには

チラチラと

どぎつく塗られた

ガラガラの

通勤電車が

音もなく進入するだけだった

始めてそれを見た

目立たない

見なれた

電気機関車が

自分の存在を大声で叫びながら通り過ぎた

目の前にあった

長距離列車が

控え目に出発した

視界が開け

長い旅立ちを前に

僕は自信と不安を

コーラのびんに押し込める






ホームには赤いワンピースの女が一人

僕は九番ホームから、それをながめているだけ

彼女と僕は同時に同じコーラを飲み

同時に飲み終わった

僕は心の中で嘲笑った

「彼女は海岸地区の売春婦だ」と

突然

彼女は僕に向かって叫んだ

「一郎!一郎!」と

ホームには誰もいない

行き交う列車に全てはかき消された

「一郎!一郎!」

僕の名前なんかじゃないよ

なぜそんなことを言うの?

ホームには僕もいないからって

2012年3月7日水曜日

名古屋の河村市長は間違っている


名古屋の河村市長は間違っている。

虐殺したのは1人であって、その罪は30万人を虐殺ものより小さいか?

そうではない。1人の命は、地球上全ての命と同じに重い。

例えば、あなたの一人娘命が、地球の反対側のブラジルの凶悪犯100人の命にとって奪われるとき、あなたは、絶対に一人娘の命を助けて、凶悪犯100人の命を奪うであろう。

一人の命は100人の命より重い証拠だ。

人間の尊厳について、虐殺した人数は関係ない。



功利主義の考えはある。

100人の命は、1人の命より重い。

これは、例えば、車を運転していてブレーキが利かなくなりました。右にハンドルを切ると10人轢いてしまう。左にハンドルを切ると1人轢いてしまう。

あなたならどうする?

ほとんどの人は左にハンドルを切るでしょう。

功利的な考えだ。

しかし、このような選択を求められることは、人の一生に一回あるかないかだ。

基本的に、人は功利主義で生きてはいけない。

一人の命と100人の命は同じ重さの尊厳があり、いくら虐殺した数が少ないと主張しても、それは人間の尊厳を考えるとき、全く説得力がない。



ある日系アメリカ人と、広島・長崎の原爆について話したことがある。

彼はこう言った。

「広島と長崎の原爆は、戦争を終わらす為に必要だった。」

日本人の血を受け継ぐ者がそう言った。

彼が受けた教育がそうだったのだろう。

私は、心が、怒りと悲しみでいっぱいになった。

私は、広島と長崎の原爆被害の写真を見たこともあるし、原爆資料館に行ったこともある。

ナチスのジェノサイドと同じではないか。

赤ん坊、子供、老人、女性を虐殺して何になるのだ。

そうでもしなくては、勝てなかったのか?

そうではない。

広島と長崎の被害者の数と日本人全員の数を、功利主義的に判断しただけなのだ。

この感情を、中国の方も感じていると思う。



自分が受けた怒りや悲しみを、他の人に与えてはいけない。



しばしば、中国のセールスマンと面談しますが、例えですが、彼らは、納期を聞くと、「3日間」、在庫はと聞くと、「1万個」などと答えます。要は「すぐにご用意できます」「在庫はたくさんあります」という意味だ。たくさんという意味を数字に置き換えて表現するらしい。

これを理解するだけで、かなりの部分の誤解は減るのではないか?

2012年3月6日火曜日

ヨーロッパの車窓

西の方



ゆるい

それも振動の中で朝になった

スペイン風の家がたち並ぶこのあたりはヨーロッパなのだろう



視界に街が入る

ビルとタワー

迫ってくる



もうイタリアとの国境を越えたのか?

ミラノはまだか?



下のポー川を見てそう思った



「なんだ東方と同じじゃないか」という声がする

駅前の大きなビルとタワーを見てそう言ったのだろう



静かな森





しかし

車の音はここをも突き破る



まわりは団地のみ



「なんだ東方と同じじゃないか」



西には桃源郷があると聞いていたのに

こんな西に来たのに

何から何まで東とそっくりだ

小さな駅がすっぽかされる所まで



まだ西があるかもしれない

もっと別な西が

そう思って特急に乗った



プラットホームに電灯で照らされた人がいる





あの人たちは

東と異なる機構にいる人たちだ

貨物列車を神妙に抜かす

疲れた人々が

ものめずらしそうに

こちらを見ている

徐々に抜いてゆく

すれ違う

反対のベクトルで

中にはなにも見えない


2012年3月5日月曜日

従軍慰安婦問題への意見


I am only a common 56 years old businessman and I live in Yokohama.

My heart is aching to hear the Jyugunianfu problem.

I only follow on my mind. I depend on my mind.

They came out 15 or 20 years ago, I forget.

It might be very hard to come out and it needs real braving.

My heart was also aching to hear their story of life.

They were already middle aged or old aged ladies. In Japanese, Obasan.

So I read the book about them for Japanese junior high school students.

I have only that knowledge about Jyugunianfu.


But do you happy or comfortable to receive our apology and money with out

truth and heart and physical bowing with out hearts’ apology.

I am sorry so I give money to you. Do you happy?

You will be very angry filled with sadness.

Apology and money age were over.

Please look at our 70 years history after World War .

We made many contribution for Again countries as a top runner of Asia

after World War by our peace Constitution.

We also have a pride.

Japanese need to make a support for them not depend on Nation and

Government,by people and citizens from real heart and spontaneous action.

Almost Japanese was born after world war ,so they don’t have a sin.

And we must have real braving for supporting Jyugunianfu.

We need a true apologizing And you need a true permission.  It is very hard

to know each other. It needs hundreds’ years.

So, I propose spontaneous supports such like a supports from you and other

countries when Great East Japan Earthquake happened.
Especially we must have mental support for them such like a support .
We were very happy to receive the support.



I do not have much money to build the support house for them, but I can

listen to their story.



I think it is new idea and concept about Jyugunianfu problem.

I am only a common 56 years old businessman and I live in Yokohama.

My heart is aching to hear the Jyugunianfu problem.

I only follow on my mind. I depend on my mind.

They came out 15 or 20 years ago, I forget.

It might be very hard to come out and it needs real braving.

My heart was also aching to hear their story of life.

They were already middle aged or old aged ladies. In Japanese, Obasan.

So I read the book about them for Japanese junior high school students.

I have only that knowledge about Jyugunianfu.


But do you happy or comfortable to receive our apology and money with out

truth and heart and physical bowing with out hearts’ apology.

I am sorry so I give money to you. Do you happy?

You will be very angry filled with sadness.

Apology and money age were over.

Please look at our 70 years history after World War .

We made many contribution for Again countries as a top runner of Asia after World War by our peace Constitution.

We also have a pride.


Japanese need to make a support for them not depend on Nation and Government

by people and citizens from real heart and spontaneous action.

Almost Japanese was born after world war ,so they don’t have a sin.

And we must have real braving for supporting Jyugunianfu.

Especially we must have mental support for them such like a support that

we received on East Japan Great Earthquake from you and other countries.

We were very happy to receive the support.


I do not have much money to build the support house for them, but I can listen to their story



I think it is new idea and concept about Jyugunianfu problem.

2012年3月4日日曜日

意見

■主流で一流の新聞によると、堤防を作れば、原発は安全になる。ストレステストに合格すれば原発は安全だ。本当?


堤防は、三陸沖の津波に対しては全くの無力でした。10mの堤防でも無力でした。モーメントを考えれば当たり前です。ある町では2重の堤防でも駄目でした。海底まである頑丈な堤防でも、津波の到着を遅らせただけです。

浜岡原発での建設中の堤防の意義は全くない。

東海村の2重の堤防は効果があったと記述がありましたが、東海村のグランドラインと海面はたった8mです。三陸や福島を襲った津波は10mを超えています。つまりたまたま津波の高さが低かっただけのことです。10mを超える津波が来てしまえば、東海村の原発も福島第一と同じ結果になっていたでしょう。


ストレステストは原発自体の安全を確かめるだけです。安全という結果がでるのは当たり前です。

問題の本質は、

・クランドラインと海面の標高差、非常用発電機標高及び位置。

・原発に電力を供給している高圧線の鉄塔の耐震性。

・福島第一の何号機だかは忘れましたが、地震後格納容器の圧力が低下し、これは格納容器の耐震性がなかったことの証明ではないか。政府と東電はその事実を隠しているのではないか。


以上なのだ。これらの安全性については、政府も電力会社もマスコミもなにも言いません。

なぜだ?


■ドイツはこの一年の電力の収支を発表しました。なんとフランス等に電力を輸出していました。グリーン電力がフランスの原発に勝ったのだ。やればできる。


■まだ想定外の津波だったと経団連の老害の会長は言っている。女川原発が平気だったのはどう説明するんだ。政府やアメリカのコンサルタントが貞観津波などを指摘しているのに、東電はなにも手を打っていない。

要は東電が、整備や改善のお金を惜しんだだけなのではないか。