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2011年12月30日金曜日

夕方の惰眠

夕方の眠り


夢の中で夕日が沈んでいた

目の中にとても赤くて熱いものがあり

眠っているのか起きているのかわからなくなった

とても息苦しくて女を抱いている夢だった

突然キリキリとして目が覚め

赤く黄色い光がそこらじゅうに満ちていた

太陽はアルミサッシの窓わくの上の方にあった

僕はとてもいい気持ちになって射精をしてしまった

太陽を背景に黒い人影が本を読み

その姿はまるで僕の今の全ての行動を知っていたかのように

こちらを振り向きもせず

ただ静かに本に見入っていた

僕は太陽のエネルギーを得たのか





それともその熱で体の全ての機能が犯されてしまったのか

体の中は激しいエネルギーと沈んだ疲労で

不安定だった

目をあけて事実を見たわりには

それらはあまりに静かでけだるかった

沈んだ疲労をなくすために再び眠ってしまった

現実の太陽なのか夢の中の太陽なのか確認せずに

2011年12月29日木曜日

100%グリーンエネルギーの社会を実現すると!!

今日無事に仕事納めをすることができました。
今年は一時期どうなるのかと思いましたが、
無事に終わりそうでホッとしています。

デンマークは何十年後に、エネルギーの全て100%グリーンエネルギーに転換するそうですが、
日本も100年後にそんな目標をたてたらよいのでは?
困難な目標ですが、デンマークではなく、日本がそのような宣言をすれば、世界に与える衝撃は、
きっと大きいはずです。世界のリーダーになろう。
世界史に残る一大事件となると思います。
負のエネルギーとオッカナビックリおつきあいするのではなく
夢や希望、未来を失っている日本に、きっと新たな目標ができて、すばらしい夢と希望が湧いてくるでしょう。
政策に理念を与えよう!!
世界の資源争いをなくしてみよう!!
考えてもみてください
毎日浴びている太陽の光や風で
地球の熱で
電車が動き、工場が稼働し、オフィスの照明がつく、銀座のネオンが灯る世界を!!
素晴らしい世界ではないですか!!
管総理の最小限不幸社会というネガティブな目標ではなく、最大限幸福社会をめざしましょう。
鳩山総理がたてたCO2を25%削減するという、根拠のない目標とはちがいます。
原子力エネルギーを70%にした、いかさまの計算根拠ではなく、真剣な目標です。
省エネは逆転満塁ホームランではありません。シングルヒットとバントで得点するものです。
少しずつ積み上げて大きな力にしましょう。
官僚に、ある期間を与えて、具体的に実現できる方法、手段、スケジュール、技術等を検討してみましょう。
国民のコンセンサスを取りましょう。
そして世界に向けて宣言してみましょう。
100%グリーンエネルギーの社会を実現すると!!

2011年12月27日火曜日





重たい風が心に入る

冷たい景色が目に写る

夕方の公園には、幸わせそうな人達がいるけど

僕の心の中には寂しさだらけさ

そのうち、みんな消えていなくなってしまうけど

秋の赤い夕暮れは変わらない



僕はゆく

冷たい風の中

重い心

胸に秘めて

公園は喜びで満ち

みんな帰り支度をしてるけど

寂しい目にそれが写り

赤い夕暮れの光に顔をそむけた


2011年12月26日月曜日

スキー場から東京に帰った時の気の乗らない雰囲気です

気がむかない到着



光がふえて

赤やら青やら光がふえて

少しうんざりとした気持ちになった

あー、またこの街で暮らすのか…

電話して、地下鉄に乗って、…

金をもらって、そしてまた電話して、…

いつもの電車に乗り、いつもの駅で降り、…

そして最後には学校にゆき、…



「もう着くぞ」

「うん」

「もう着くぞ」

「うん」

そんな会話を無意識にくり返す



あふれんばかりの人と車

あー、またこの街で暮らすのか…

2011年12月25日日曜日

いざ!!スキー場へ出発!!

出発



酔っぱらいと排気ガスでいっぱいの地下道

そのアルコールで満ちた世界を抜け出すと

真黒で冷たい風が激しく吹いてくる世界があった

そこには、赤やら黄の人影が揺れて

みな、手で顔を被っていた

バスはひっきりなしに到着し

そして出発した



改札口でさっと手を開げ

コートを風になびかせて切符を渡した都会的な女がいたかと思うと

田舎から出てきた連中が喧嘩を始めていた

恵まれない、ウサを晴らしたい連中がたくさんいたんだ







バスは窓を白くし

見るからに男と女の興奮を内蔵していた

そして、その興奮をはき出しては新たなエネルギーを吸い込もうとしていた

赤やら黄やらの人影は寒そうに顔を見られまいとし

自分たちも早くその興奮に預かろうともがいていた

行き先表示がある自分たちのバスを捜しに

冷たい風の中をもがいていた


2011年12月24日土曜日

スキー場のリフトの上で作詞

悲しさ



パインパイーン

パインパイーン

体は運ばれ

体は冷える

パインパイーン

パインパイーン

怒りと劣等感で心は騒ぐ

下を見たまま

体は上へ運ばれる

白の世界の中を

数々の想いを胸に秘め

顔をゆがめながら



体は運ばれ

体は冷える

昔のことや

恥をかいたことを想い出す

パインパイーン

パインパイーン

体は運ばれ

体は冷える

2011年12月23日金曜日

スキーに行った時の長野の風景です

雪の情景


谷内六郎の絵に出会った!

遠い昔のさし絵に出会った!

想い出す、手あかのついた教科書を

光がバスの中でこもり

気分が暖かくなった

雪をかぶった景色はガラス全体に広がり

痛快に通り過ぎてゆく

景色は曲線で飾られ…




2011年12月22日木曜日

こんあ気持ちもあったのか・・・夜の車のライトがテーマだろう

ガラスの隔たり



進む

いまいましい色の看板の中を

ほら、黄色い光を放つ目が

黄色い目がウヨウヨいる

毒はこんな美しい山合いの道まで犯してゆく



進む

毒々しい色で照らされた部屋を

君の横顔はその光で

赤い虫がウヨウヨ見えている

毒は美しい君の横顔まで犯してゆく



その長い髪を垂らして

僕の方を振り向けば

外の景色に飽きた目を

なごませてくれるはずなのに

こんな

大きいのや小さいのがいる世界で生きてゆけるだろうか?





毒々しい色を放つものだらけの世界で

2011年12月21日水曜日

コタツでの昼寝

回想


コタツにくるまっていると

下の方で子供たちの遊ぶ声がした

声はアパートのコンクリートにはね返り

不思議な響きを伴なった

夕方の灰色の空気の中を

それらは涼しげに私の耳に届いた

空は曇り

そして、それも灰色だった



シーソーの音や三輪車のカチャカチャという音がする

火薬ピストルのパチパチと鳴る音や

ガキ大将のどなり声がする



コタツに入ったまま

半分意識が朦朧としたまま

それらを耳にし





灰色の大気の中を快く走り回った自分を思い出している

昔の自分を思い出している


2011年12月20日火曜日

スキーから東京に帰り、新宿でグループは解散しました

なごり



降りるたびに会話を交わす

わかっている

君との仲はしだいに気まずくなり

もう飽き飽きして

熱がさめてゆくことを



白い雪の世界が遠ざかるにつれ

赤い乾いた都会が近づくにつれ

二人は現実に引き戻され

客観的でクールな考え方をするようになった

そんなに親しくしたわけでもないのに



やがて

言葉少なげに話し

互いに無視するようになる



光が増し

建物がひしめき





その間口が狭くなるにつれ

二人は

明日の食事のことや

学校のことや

電車に乗ることを考え始める



もう、そんなこといやだと言っていても



そして

最後の別れは簡単で

駐車場の横にあったいちご売場の前で

「さよなら」と

気楽に別れてしまったのだ

2011年12月19日月曜日

東京の車が流れる道を、ビルの屋上から見る





ビルの屋上にいる

春の涼しく、冷たい風

少しは暖かさを含んでいる

下のアリを見る

メガロポリスに動めくアリを

背中は夕日を浴びてジリジリする

谷間は冷え切ってひんやりする

岩が割れてゆく音がする

子供の頃おやじに連れられて行った

あの建物へ

そんな事をまだ覚えているなんて

あの建物

黄色い光線と煙っぽい空気

あの建物の上に

星が一つ

今日はとても晴れている

空は神秘なブルー

あの建物の光





紀元三百年のアラビアで見たことがある

そう、ササン朝ペルシアの首都で

いや

南半球のサンチアゴのイメージか

いや

宇宙的なイメージ

そうだ

エキュメノポリスにあった

そのエキュメノポリスに日が沈むのだ

わけのわからない怪しい闇が環境を包み

しだいにブルーが失われ…

あの建物

すがすがしいアラビアとサンチアゴは遠ざかり

そして宇宙も…

2011年12月18日日曜日

スキー場で知り合った人に失恋

失恋して二日目



景色が折り重なる

セーターを首にくくりつけ

突然襲いかかった冷たい雨を

砲弾のように防いでいる

友と別れ

彼は地下鉄の明るい入口へと消えた

「さようなら…」

行手は灰色に湿り

まばらになったターミナルのネオンを

ユラユラと

かぼそく

写し出す

連絡通路を抜け

広い横断歩道を横切り

ベニヤで閉ざされたさっきの花屋の前に立つ

全ては店閉いだ

ヤケになっている

白い世界で知り合った人は





このいまわしい人ごみの中に消えていった

案の定…

心配していた通り…

この、いまわしい群集の中で

出会う事を期待しても無駄だ

いくばくの確立さえない

そんな事は考えずに歩けばいい



バスの中の人が降りてゆくように

彼女は消えていった

そして、孤独の中で揺られ

一人きりになった

全ては元通りさ

あれは夢だったのさ

囲わりは全て暗闇となり

静かな振動が体に伝わり

一番後ろの隅の席で頭を垂らしている







バスは

ターミナルで最後の終結をしていた



あの

ドライブインで

声を掛けられた事が

もう一度起って欲しかっただけだった

2011年12月17日土曜日

タイトルの通りです

四年生から一年生へ



春の暖かい風よ

窓から入りこむ軟かいものよ

心は沈むことなしに

高い音を次々と奏でる

喫茶店で人を待っていても

キャンパスをただ歩いているだけでも

新入生たち、すがすがしい者たち

キャンパスは慣れない声と

慣れない足音で満ちる

この大都会に何をしに来たのか?

人民を開放するためか?

彼女を見つけるためか?

それとも、二日酔の味を知るためにか?

色とりどりの人よ

それらは

春の光でひどく輝いて見える

過去の想い出に耽る暇もない





食堂、廊下と

そこら中歓喜で満ち

人々は全て未来に向いている

はずむ会話

ガンガンなりたてるマイク

黒と白とオレンジ色の立て看

そこら中に散るちらし

クラブの誘惑

過去の想い出に耽ってはいられない

囲わりは全て、未来を向いているのだから

大学を卒業した日に書きました

青春は去った



青春は去った

日の当たるポカポカしたバスの中ではしゃいでいるうちに

僕の手から離れていってしまった



青春は制服で固められ

毎日机に向っているだけで終わった

アルバムの

楕円形の枠組に統一され

時がそれを均等に運んだ

何も行動できず

青春は去った



青春は去った

白い山で快楽をむさぼっているうちに

僕の心から離れてしまった

過去は数々の酒で濁り

体中油だらけになった





もう

逃げ場がない

絶壁の淵に立たされ

僕は強暴な時という追っ手の前にひれ伏し甘えた

「あとニ,三年このままにさせてくれと…」

青春は去ってしまっていたが



青春は去っていた

赤い小さな彼女を送ったときに

時の歯車が一廻りして

僕の番が下になり

彼女の番が上にきた

そのときに、薄々気が付いていた



こんな愚痴を許してくれ



青春は去った

写真の人は話しかけてはくれない





紙の文字は語りかけてはくれない



青春は去った

この春のように

日の当たるポカポカしたバスの中ではしゃいでいるうちに

僕の手から離れてしまった

2011年12月15日木曜日

ちょっと硬い話題で、激しい反感を持つ人もいるかもしれませんが、従軍慰安婦の問題で、私の自然な気持ちをお話します


従軍慰安婦について



自分自身の良心に従うのみ

10数年前かなあ、かつて従軍慰安婦に方がカミングアウトしたのは

それを見て、私は、正直言って心が痛みました

カミングアウトするのには勇気がいったでしょう

早速、中学生向けの従軍慰安婦に関する本を読みました

皆さん、既におばちゃんやおばあちゃんで

でも、その歳になっても、深い心の傷が癒えないのだなあと思いました

私の娘のいじめでもそうです

加害者には心の傷が残りませんし、彼らは忘れていきます

しかし、被害者には、一生に渡る心の深い傷になることを知りました

この問題は日本人にとっても恥であり、触れたくない問題なのかもしれません。

事実に目をつぶり、解決済みとしても未来は開けません



それは、私が大ファンのKARAやかみさんが大好きな東方神気に関するブログやツイッターを翻訳サーフィンで見ると、その心の傷は読み取れます



この件に関しては

おそらく、国家としての賠償や無意味で中身のない謝罪ではないと思う

彼女らに対するサポートが必要だと思う

特にメンタルのサポートが必要なのでは・・・



私に出来ることは、たぶん彼女らの話を聞くことぐらいでしょう

それでも、何万人の日本人が話を聞くことだけでも

すてきなサポートになると思います

国家としては、立派な施設ではなくても、日本人に開かれた支援施設を創ることか?



それは、外務省の前で、日本の国家に対し、帝国主義がうんぬんはんぬんと抽象的な議論や抗議をすることとは違う、自分の良心に従って、実のある行動をすることだ

日本大使館の前に出来た像は、もっと挑発的なものと思いましたが

かわいらしいので、増大した反感が薄れました

アイデアの勝負勝ちとでもいいましょうか



韓国の方にもお願いがあります

反日教育はやめて欲しい

我々の戦後70年の歴史を見て欲しい

平和国家としての日本を見て欲しい

我々は、100年や70年前の日本人とは違う

心を開いてくれて、自然な気持ちになって欲しい

現在の我々日本人の戦後70年の平和国家の誇りやプライドを傷つけないで欲しい

相互理解であれば、反日教育を改善して欲しいのだ

又、日本人も隣国の客観的で詳細な歴史を学習していません

これはよくない

教育に含めるべきでしょう

李明博さん 交渉相手は日本政府ではなく、日本のサイレントマジョリティーかもしれない

小学校三年生の時、南紀白浜に家族で旅行に行ったときの思い出です

冒険



君は覚えているか

母親に連れられて海へ行った事を

巨大な青色を目の前にして

白いしぶきと

塩っぽい匂いと

岩間の水たまりやこびりついたふじつぼの上を

この巨大な境目を

君はゆっくりと海に向っている

黒くゴツゴツとした岩を進んでいる

手と足と、そして知能を働かせながら…

好奇心に満ちて…

計算しながら進んでいる

もう少しで

もう少しで

母親がいる岩にたどり着く

それにしても

この広大な隙間をどうしたものか





飛び越すか?

遠回りするか?

心はあせりと恐怖で熱くなる

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やった!

最後の難関を!

遠目で見たはるかなる岩に着いた!

天と地の境目に着いたのだ!