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2015年1月16日金曜日

私はシャルリじゃない



フランスの事件。暴力で人を黙らせることは絶対にいけない。しかし、自由・平等・博愛は力で攻撃し守らなくてはいけないものなのか?
確かに、各国の代表者がデモンストレーションの先頭に立ち、力でアピールし守るのが本当の自由・平等・博愛なのだとは最初にチョット思った。しかし何か違和感がある。ジョンレノンやオノヨーコの自由・平等・博愛だって、力で実現するものではないが、それも真実だ。問題の過去からのイラストをインターネットで見たが、私は、誹謗中傷でヘイトスピーチだと思う。冗談や批判、風刺だと思う人も当然多数いると思う。この境目を決めるのは、非常に難しい。それは普遍的なものではなく、個人個人によるものとなってしまう。

下記に、 私はシャルリじゃない パリ・デモ参加の牧村朝子さんの文章をコピーしておきます。


デモに参加する市民。左のプラカードには「私はシャルリ 私はニジェール人」と手書きされていた(牧村さん提供)

 沈痛な空気に覆われたパリの午後、群衆の中に牧村朝子さん(27)は、いた。フランス人女性と同性婚し、パリ近郊で暮らす牧村さんは風刺週刊紙シャルリエブドへのテロを受けて行われたデモに参加した。「『私はシャルリ』を、私は掲げなかった」。その目には何が映り、何を思うのか。

 

 デモに行くつもりはありませんでした。参加したのは義父母に誘われたから。フランスでは今、シャルリエブドの痛みを自分のものとして引き受ける合言葉「私はシャルリ」が広がっています。私はそれに共感できなかった。

 一つには、シャルリエブドの風刺画を面白いと思えなかったから。「こんなに過激なこと描いている俺って自由だぜ」と息巻いているようにしか見えなかった。

 もう一つは、みんながそろって同じスローガンを掲げれば、それに共感できない人やイスラム教徒の人が怖い思いをすると思った。「『私はシャルリ』と口にできない自分はおかしいのでは」と思わせてしまうことにもなる。

 たくさんの「火種」がある街に出るのは怖かった。でも、イスラム教徒のためでも、フランスのためでもなく、暴力で人を黙らせる行為は許せなかった。「怖い」という理由で家にいるのは暴力に屈することだとも思った。怖い場所にあえて出て行くことに意味があり、「私はシャルリ」というプラカードを持たないことが意思表示だと思いました。

 午後3時に始まり、パリ市内を1時間半ほど歩きました。

 行進は、静かでした。

 同性婚が法制化された時は「反対、反対」とスローガンが叫ばれたのに、今回はみんな黙々と歩いていた。

 確かに「私はシャルリ」を掲げる人は多かった。でも、見回せばキリスト教やイスラム教などさまざまな宗教シンボルを掲げる人、追悼の意味を込め花束を持っている人と、思い思いのスタイルで参加していた。追悼デモという性質もあったと思うけど、一人一人の主張は違っていました。

平等とは何か 

 行進の途中、道沿いの家のベランダから5歳と3歳くらいの黒人の女の子2人が「びょうどう!びょうどう!」と叫んでいました。

 参列者から拍手と歓声が湧き、葬式の列のようだった行進にほほ笑ましげな空気が広がりました。

 私はあの行進で「平等」という言葉が出てきたことが大事だと思います。

 事件をめぐっては「表現の自由」か「宗教への冒涜でありヘイトスピーチ(差別扇動憎悪表現)である」という議論になっているけれど、その前に「平等って何だろう」ということを考えた方がいい。

 みんながみんな「表現の自由」を叫べるほど平等な世の中ではないからです。「たかが女の言うこと」「どうせイスラム教徒の言うことだ」と耳を傾けてもらえない人がいます。表現の自由を振りかざせる人と振りかざせない人がいる。日本でもフランスでも、世界中のどこでも。

 フランスに移り住んですぐの2012年夏、忘れられない光景があります。

 バスに乗ると、後部座席の背もたれにマジックで大きく「アラブ・ヴェルミン」と落書きしてありました。家に帰って辞書を引き、ヴェルミンが「虫けら、害虫」という意味だと知りました。

 こんなことを書く人がいて、そのままバスを走らせていることに驚きました。

 北西アフリカ出身の移民をルーツとする人の多くは、低賃金の労働に従事している。法律上は差別がなくても「2級市民」扱いされ、政治家から「クズ」と呼ばれることもある。「移民が俺たちの仕事を奪っている」という偏見から、「出て行け」と迫害を受けることもあります。

 テロの容疑者は死んでしまったので想像でしかないけれど、彼らは「表現の自由」を使える立場にいなかったのではないか。暴力という手段を選ばざるをえなかった立場。もちろん容疑者が社会的弱者であっても暴力が許されないことには変わりありませんが。

 事件を受け、フランス国歌を歌う人、フランス国旗を掲げる人に聞きたい。「フランス人」って誰のことだと思っているのですか、と。フランスは「自由・平等・博愛」を標語に掲げているけれど、「本当に平等は実現されているか」「表現の自由をみんなが享受できる社会なのか」ということを見詰め直すべき時だと思います。

自由に反する 

 行進に向かう途中の駅で目に留まったのは、人混みの中を歩く20代前半くらいの女性でした。

 手にしたプラカードを気に掛けながら一人で階段を上っていました。プラカードは壁側に向けられていましたが、やがて人目につくように持ち替えました。

 「私はムスリム」

 そう書かれていました。

 怖かったと思います。実際、女性は周りを気にしてきょろきょろしていた。事件後はモスクが相次いで襲撃されている現状がある。私だって「私はシャルリ」を掲げないだけで怖さを感じた。

 でも、だからこそ彼女は行進に向かったのでしょう。「テロに抗議する非移民」「モスク襲撃に反対するイスラム教徒」の対立という単純極まりない見方ではなく、「テロに反対する」という一点で人は非ムスリムもムスリムもなく共存できると示すために、です。

 フランスの歴史上、風刺は権力を笑うことで弱い人のためにあり続けました。シャルリエブドも国民から愛されている週刊紙です。

 フランスのメディアの多くは今回のテロを「表現の自由に対する攻撃だ」と主張しています。それを感情的だとは思いません。

 でも、風刺に対する批判に「これは文化なんだ」「表現の自由だ」と主張することで相手を黙らせることは許されません。それこそが自由の精神に反している。批判をつぶすのは他人の自由を奪うこと。「私はシャルリ」と言う自由はある。でも、同意できない人にそう言わせる自由はないと思います。

 「私はアフメド」と主張する人もいる。シャルリエブド本社が襲撃された日、逃走する容疑者に撃たれて殉職したイスラム教徒の警察官の名前です。自分のことを笑いものにした人であっても、相手の表現の自由を守る。これが表現の自由を守るということの本当のあり方だと思います。

 日本の反応をツイッターなどで見ると、シャルリエブドに対して「自業自得」という人もいます。今一番必要なのは「フランス=差別主義者」「イスラム教徒=テロリスト」という単純なレッテル貼りはやめること。フランス国外から見る今のフランスは「私はシャルリ」と叫ぶ人の群れにしか見えないかもしれません。でも、決してそうではない。私自身、私として発言することしかできない。「私はシャルリ」と思わない。でも、暴力には反対している。「私はムスリム」「私はアフメド」「私はシャルリではない」。それぞれに共通していたのは、シャルリエブドに向けられた暴力を支持しないという思いです。

 でも、こういう現実もある。暴力で人を黙らせる行為はすべてテロというべきなのに、モスク襲撃は「テロ」とは呼ばれません。シャルリへの暴力はテロとされ、モスクへの暴力は「襲撃」という言葉が使われています。
 



2014年6月23日月曜日

河野談話の検証について

河野談話の検証について

河野談話の検証を報道等で知りました
妥協の産物だとか事実の裏付けがないことが証明されたとか、韓国に押し切られたものだとか、韓国に言われ放題の原因だとか、国辱ものだとか
いろいろ言う人がいますが
私は、逆に国益を考えた正しい談話を、日本人の意思で発言したという証明だし、
河野さんは人間として正しい発言をしたという証拠になると思う
韓国の方、そんなに抗議することはない
慰安婦になった方は、軍や業者に騙された人や、自ら生活のため志願した人、親が売った人など
一人一人理由は千差万別で、いろいろなケースがあったに違いない(事実調査の資料があるそうですね)

部分的に、強制ではない人もいたでしょうが、全体に目をつむり
それを変に拡大解釈してすべては強制ではないので、日本の軍は関与していないとか、日本に責任はないなどという人は頭がどうかしている
そういっている人たちこそ、過ちを認める勇気のない国辱ものの人たちだ
国益に反する人たちだ
カッコを付けて勇ましいことを言っているようだが、私から見れば日本人としてのプライドや誇りのないフニャフニャな精神の人たちだ
大阪の市長など、子供が叱られた時、「〇〇君もやってたよ」とよく言いますが
発言が幼稚すぎて、卑怯以前のきわめてレベルの低い子供の発言です
私はそのニュースが世界中に発信されると思うと、とても恥ずかしいです

集めた人を軍艦で運び、監禁して
アメリカが攻めてきたら退却する前に穴を掘って殺して埋めた写真などが、ナヌムの家のホームページに掲載されている
それが偽造だと言う人たちには、偽造だと証明し立証してもらいたい
たとえ軍の強制で集めたのではないと仮定してみよう
しかしそれ以上のひどいことをしている

従軍慰安婦の問題はまず日本が本当の勇気をもって行動を起こすべき
この検証結果を再度朝鮮半島の人たちに再度投げてみよう

朝鮮半島の人たち誠意をもって受け止めて欲しい
お互い誹謗中傷するだけではおばあさんたちの魂はさらに苦しむだけだ



2014年3月8日土曜日

雪の日


雪の日

何気なく入った

学生街のスターバックコーヒー

懐かしい5th DimensionのあぶらぎったコーラスのBGM

その追い立てるようなコーラス

C調で織りなすそのコーラス

赤いレコードジャケット

50年前のアメリカの音楽

タイムスリップして

輝いていた時代を思い出し

心が躍る

 

古いテレビの画面を思い出し

白い東京と光の故郷が蘇ってくる

心は躍り

今前を歩いている学生の頃の自分が今舞い降りている

 

外人

コーヒー

語らい

勉強している学生

次はビーチボーイズのGood Vibration

 

雪の中に全ては消え

私はこの店を出る

2013年12月28日土曜日

阿倍さんの靖国参拝

安倍さんの靖国参拝

死んだ人の罪はキャンセルされるという
日本の死生観は理解はできなくもないが
戦争犯罪人加害者と
戦い死んだ被害者が同じに祭られているのは
私は日本人だがそれは理解できない
加害者と被害者は宇宙が終るまで許しあうことはできないと私は思っている
安倍さんのスピーチの内容(不戦の誓いなど)には賛同するが
外国の人には全く理解できないだろう
幾ら粘り強く説明しても100%理解不能に違いない
ヒットラーと兵士が一緒に祭られているキリスト教会など存在しない

安倍さんの自己満足で終わっている

私は靖国神社の近くに住んでいた
中学校と高等学校は靖国神社の隣にあり
毎日、6年間、靖国神社の境内の中を自由に通学していた
同じ通学路にかわいい女学生が通学していて
胸をワクワクさせて通学したものだ
彼女は、毎日、靖国神社の本殿に向かってお辞儀をしていた
親に言われていたのだろうが、違和感はなかった
そんな靖国神社の当時の想い出は
神風特攻隊の少年が死を前に最後に母に捧げた手紙や
人間魚雷の展示品
何と非人間的な魚雷なんだと家族で感慨にふけり
戦争の非人間性を家族で共有した
そんな思い出がある

今の靖国神社
右翼の資金援助を受け
戦争を賛美する展示
右翼団体の軍事訓練
一般の人が参拝するには怖すぎる

右翼、ヤクザ、日本のアウトロー
怖い人だらけで
終戦記念日には、ふつうの人たちが参拝にしり込みする
私の記憶の靖国神社が全く変質している
戦争好きカルト集団の宗教施設となっている

安倍さん
靖国神社はあなたの不戦の誓いをする場所ではもうない

千鳥ヶ淵の戦没者記念墓地ではなぜいけないのだろうか?
小泉や安倍がコソコソ参拝して、日本の不利益を産み、国民を惑わすより
ズッといい
それが、日本人のアイデンティティーやプライドを損ねることは全くない
むしろ、外国に気兼ねなく堂々と参拝できる
一度も戦争で亡くなった兵士に参拝したこともない私だが
千鳥ヶ淵なら、娘を連れて、日本人として、プライドを持って
喜んで、堂々と、自信を持って参拝します

もう一度言います
今の靖国神社は戦争好きカルト集団の宗教施設です

理念政治の時代はとうの昔に終わっていて
政治は今、マーケットビジネスの時代なのだ

2013年8月11日日曜日

朝鮮半島の人たちへ


朝鮮半島の人たちの心の中が少しわかってきた


日本に対する反感や心の傷どころではない 

日本に対するトラウマというべきです 

我々がそれに触れないよう今後共、気遣っていくことが必要だという事がわかってきました

困難ですがそれを理解し、向き合っていきましょう


本当は、東日本大震災のお礼に「カムサムハムニダ」と言うべきところを


逆に心を傷つけてしまう過ちを我々はしている


申し訳ないです

 

従軍慰安婦の問題は

複雑にこんがらがり

政治的な力も加わり

解決には数百年か千年かかると私は思います

 

韓国の一部の人にも

従軍慰安婦の問題について

解決しなくてもよい

永遠に日本に対しての脅しに使う 

おばあさんたちがかわいそう、支援したいという気持ちからスタートしていない

一種のおばあさんに対する差別感が感じられる

初めからボタンをかけ違えている人もいるのでは?

(誤解であれば反論して下さい)

 

まず子供たちの教育から

日本人にとってブラックボックスの19世紀以降の半島の歴史を日本人に学ばせる

日本の学校の歴史の教育では

いきなり日本の植民地化が来る

そこまでの歴史のディテールが欠落している

私も、昨年からの報道を聞いて

初めて朝鮮半島の歴史のディテールが記述された本を読みました

逆に、日本というものがよくわかりました

 

韓国の方へ

日本人も勉強するから

反日教育をやめて

子供たちだけでも相互に歩み寄って欲しい

右翼の人に対して


石原慎太郎 櫻井よしこ 日本を混迷させただけ

民主党が尖閣列島を国有化したら、日本の為に大変すばらしいことをしたと賛辞し、民主党を支持するのが筋だろう

彼らはそれをしなかった

彼は日本の為に尖閣列島を購入しようとしたのではない

自分たちの人気の為にしただけだ

土台、14億円では、あの地権者は足りないのだったに違いない

初めから国狙いだったはずだ

あの2人は、お坊ちゃまお嬢ちゃまだけなのだ

地権者にだまされたのさ

 

石原・櫻井・橋下は所詮政治家でも事実と真実を手と足と頭で追及するジャーナリストでもない

彼らはタダのタレント

偽物です

マスコミも手と足と頭で取材し論理を構築して記事を書いていない

デスクにドップリと浸かり

貧弱な頭で汚い概念を書いているだけ

市場原理について


教育をできる人だけ伸ばして、できない人はほったらかしにするそうだ

市場原理

人間の尊厳にかかわるもの

教育や医療や福祉などに市場原理を導入してメチャクチャにして

本当に市場原理が必要で、それを入れることで素晴らしく改善される電力業界には市場原理を導入しない

いや、導入しようとしても

政治家、役人、経済界、マスコミではできないし能力もない

ロビー活動や賄賂が横行しているに違いない

核エネルギーというとてつもないエネルギーを一度手に入れると

北朝鮮のように2度と手放さないようだ

そんなに金と権力がほしいのか?

愚か、自分自身に核を落とすだけなのに・・・

日本の長期的エネルギー政策は50年遅れる

 

竹中平蔵に代表される市場原理主義者は、ヘイトスピーチをする人と同じ

一つの物差しを絶対化しているだけだ

ただ彼は、学歴が高いだけなのだ