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2012年1月10日火曜日


橋下大阪市長は、リーダーシップと独裁を履き違えている。

(電力会社への対応は評価しています)

小学校3年生の時、

同じクラスにTさんという知恵遅れの女の子がいました。

50年たった今でも彼女の名前を覚えている!!

小学校の道を挟んで隣にある地区センターの前で数人の同級生が、簡単な足し算を彼女にさせていた。1+121+23・・・しかしそれ以上の数字になると彼女は答えられず、恥ずかしそうに体をよじりました。まわりを取り囲んでいる同級生たちが、一斉に「バカ」とか言って、彼女を責めたてました。小学校3年生の私は、少し躊躇しましたが、自分がバカにされないならばよいと思い、周りの同級生に加わり、いつの間にか彼女を責めたてました。「バカ」「こんな計算もできないのか」と。私のいじめ第1号です。

彼女は次第に悲しい顔になり、私はその場を離れました。

私もとても悲しい気持ちになりました。

ほどなく彼女は学校からいなくなりました。



そう、これが教育というものかもしれない。君が代・日の丸を歌え・掲示するなどという、大人の形式を押しつけ、親などの大人の価値観を押しつける。それはすでに形骸を増やすだけだ。

中身のない形骸や形式だけが多いのが現在の教育ではないのか?

いや教育と言うのはそうではなく、あくまでも子供の為にあるものだ。

教師を親に評価させてどうなるのだ。

政治家が子供たちに介入してどうなるのだ。

親は十分に、現実に教育に対し実権力をもっている。

逆に、教師を、細部まで制限した、細かく規定された文部科学省の指導要綱やマニュアル、膨大な書類から解放すべきではないのか?

教師の責任を増やすが(生徒が自殺したら責任をとるのですよ)、同時に発言力も増やすべきではないのか?

左翼からも右翼からも、死んでしまった役にたたない形骸や形式だけを押し付
けられているのにすぎないのではないか?
 
いじめ、不登校、自殺、学力格差、引きこもり、ニートなど・・・。

教育の再生を考えるならば、大人の価値観を押し付ける政治が解決する問題ではない。

過去の日本がそうだっただろう。

市長は、小学校3年生の私が経験した小さな心の成長がない人なのではないか?

大阪の教育はおそらく暗黒と混乱の時代を迎えるだろう。


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