名古屋の河村市長は間違っている。
虐殺したのは1人であって、その罪は30万人を虐殺ものより小さいか?
そうではない。1人の命は、地球上全ての命と同じに重い。
例えば、あなたの一人娘命が、地球の反対側のブラジルの凶悪犯100人の命にとって奪われるとき、あなたは、絶対に一人娘の命を助けて、凶悪犯100人の命を奪うであろう。
一人の命は100人の命より重い証拠だ。
人間の尊厳について、虐殺した人数は関係ない。
功利主義の考えはある。
100人の命は、1人の命より重い。
これは、例えば、車を運転していてブレーキが利かなくなりました。右にハンドルを切ると10人轢いてしまう。左にハンドルを切ると1人轢いてしまう。
あなたならどうする?
ほとんどの人は左にハンドルを切るでしょう。
功利的な考えだ。
しかし、このような選択を求められることは、人の一生に一回あるかないかだ。
基本的に、人は功利主義で生きてはいけない。
一人の命と100人の命は同じ重さの尊厳があり、いくら虐殺した数が少ないと主張しても、それは人間の尊厳を考えるとき、全く説得力がない。
ある日系アメリカ人と、広島・長崎の原爆について話したことがある。
彼はこう言った。
「広島と長崎の原爆は、戦争を終わらす為に必要だった。」
日本人の血を受け継ぐ者がそう言った。
彼が受けた教育がそうだったのだろう。
私は、心が、怒りと悲しみでいっぱいになった。
私は、広島と長崎の原爆被害の写真を見たこともあるし、原爆資料館に行ったこともある。
ナチスのジェノサイドと同じではないか。
赤ん坊、子供、老人、女性を虐殺して何になるのだ。
そうでもしなくては、勝てなかったのか?
そうではない。
広島と長崎の被害者の数と日本人全員の数を、功利主義的に判断しただけなのだ。
この感情を、中国の方も感じていると思う。
自分が受けた怒りや悲しみを、他の人に与えてはいけない。
しばしば、中国のセールスマンと面談しますが、例えですが、彼らは、納期を聞くと、「3日間」、在庫はと聞くと、「1万個」などと答えます。要は「すぐにご用意できます」「在庫はたくさんあります」という意味だ。たくさんという意味を数字に置き換えて表現するらしい。
これを理解するだけで、かなりの部分の誤解は減るのではないか?
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