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2012年1月15日日曜日

トリオのステレオのランプを見て感じました



緑色のランプの発見



都会の薄汚ない空に

黒くはない都会の空に

音が反響し合う空に

一つのランプを発見した

それは緑で

それは光っていた



星のない都会の空に

星のように光るランプ

天体ではない星

深い緑に輝く



何万光年のかなた



君はあまりに遠すぎる

遠すぎて僕の声は届かない

2012年1月14日土曜日

1969年アポロ11号が月面に着陸した時の詩です

月面に立つ



月面に人類がその足で立った時

人類は黒の中にある

そして

青い地球を見て

涙を流した

自分の犯した罪が取り返しのつくものでないから

やがて

その涙は

彼の宇宙帽の中をいっぱいにし

涙は月面へあふれでた

乾き切った月面は

「ジュー」と音をたてた



青い地球の

その底の生活を見てしまった

母なる地球すら

孤独な宇宙のでしかない

この月とも関係はない



存在の不思議を想い





誕生の不思議を想い

そして死を想う



もうまもなく、彼の酸素はなくなる

もうすぐに、彼は粉々になって月面に散るだろう

そんな彼の銀色の服が

しだいにくにゃくにゃになっていった


2012年1月12日木曜日

雨の高速道路のドライブ






降ってくる雨

フロントガラスの雨

十年前と同じ道を通る

アスファルトは黒い滑走路となり



黒いトタンの雨

あたりはしっとりと漏れて

平面がくっきりと浮き出る



前の車のテールランプだけを見つめている

座席のシートカバーはひんやりとしている



無気力な雨

「いつもの白いビルは見えないなぁ」



ワイパーは作動しない





だから…

窓は雨で覆われている



ガラスの透灰色の世界には

黒い屋根が交互している



センターラインに沿って走っただけ

もうすぐ料金所だ


2012年1月11日水曜日

私が死ぬときはこうなのかなあ


私の最後



この35年間、止まらないポンプのように働いてきた

それも今日で終わる

私がいなくなっても

誰が気づいてくれよう



今日は明日の娘の結婚式の前日なので

先客万来だ

妹の由紀子が来た

正和おじちゃんが来た

友達の大塚さんが来た

仲人の田中さんが来た

隣の木村さん、村山さんが来た

友人の佐野さん、米倉さんが来た

友人の塚本さんが来た

小学校の校長だった木田先生が来た

内山さん、藤内さん、中山さんが来た

ピアノの先生が来た

森田さんが来た

みんなお祝いを持ってきて「おめでとう」

お茶を出しておしゃべりする

なにもかも一人でやるので

忙しくて目が回りそうだ

本当に、賑やかで華やかな日だ

彼が来て、娘はチョット出かける

くたびれてさみしがる時間もない



結婚式当日

私は娘と腕を組んでバージンロードを歩く

ベールを上げてキス



仲人挨拶

ウェディングケーキカット

乾杯

祝辞

キャンドルサービス

花束贈呈

お礼



お開き



私は、一人夜の街をタクシーに居た

家に着くと、タクシーは音もなくウィンカーを点滅させ

私は、疲れた体を、花束と共に降りる



建てつけの悪いドアを鍵でこじ開け

誰もいない

冷え切った部屋の中に身を投じる



おかあさん

ついに一人きりになったよ



私を照らすスポットライトの光は次第にフェィドアウトし

やがて私は暗闇に消えていってしまった

2012年1月10日火曜日


橋下大阪市長は、リーダーシップと独裁を履き違えている。

(電力会社への対応は評価しています)

小学校3年生の時、

同じクラスにTさんという知恵遅れの女の子がいました。

50年たった今でも彼女の名前を覚えている!!

小学校の道を挟んで隣にある地区センターの前で数人の同級生が、簡単な足し算を彼女にさせていた。1+121+23・・・しかしそれ以上の数字になると彼女は答えられず、恥ずかしそうに体をよじりました。まわりを取り囲んでいる同級生たちが、一斉に「バカ」とか言って、彼女を責めたてました。小学校3年生の私は、少し躊躇しましたが、自分がバカにされないならばよいと思い、周りの同級生に加わり、いつの間にか彼女を責めたてました。「バカ」「こんな計算もできないのか」と。私のいじめ第1号です。

彼女は次第に悲しい顔になり、私はその場を離れました。

私もとても悲しい気持ちになりました。

ほどなく彼女は学校からいなくなりました。



そう、これが教育というものかもしれない。君が代・日の丸を歌え・掲示するなどという、大人の形式を押しつけ、親などの大人の価値観を押しつける。それはすでに形骸を増やすだけだ。

中身のない形骸や形式だけが多いのが現在の教育ではないのか?

いや教育と言うのはそうではなく、あくまでも子供の為にあるものだ。

教師を親に評価させてどうなるのだ。

政治家が子供たちに介入してどうなるのだ。

親は十分に、現実に教育に対し実権力をもっている。

逆に、教師を、細部まで制限した、細かく規定された文部科学省の指導要綱やマニュアル、膨大な書類から解放すべきではないのか?

教師の責任を増やすが(生徒が自殺したら責任をとるのですよ)、同時に発言力も増やすべきではないのか?

左翼からも右翼からも、死んでしまった役にたたない形骸や形式だけを押し付
けられているのにすぎないのではないか?
 
いじめ、不登校、自殺、学力格差、引きこもり、ニートなど・・・。

教育の再生を考えるならば、大人の価値観を押し付ける政治が解決する問題ではない。

過去の日本がそうだっただろう。

市長は、小学校3年生の私が経験した小さな心の成長がない人なのではないか?

大阪の教育はおそらく暗黒と混乱の時代を迎えるだろう。


2012年1月9日月曜日

こんなうぶなときもあった

イマジネーション



少年時代は五年前に終わっている

もう終わっている

そして、僕は難しい問題を解いている

五年前には考えにも及ばなかった問題を

紙は白いし木は青いなどということを

2012年1月8日日曜日

むむむ・・・

あこがれ



山への道は遠い

住宅とビルディングがある



住宅の全くない所はないか

コカコーラの看板がない所はないか



混雑

冷淡な貧困

高慢

それらを超越するものはないのか



山が見えてきた

まわりは緑



どこか、田んぼのない所はないか

どこか、畑のない所はないか



都会はもう、私の頭の隅にある





まぶたに黒いビルが小さくうつるだけ

ここは山